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    星と瞑想 宇宙と瞑想 神さまと瞑想

    • 2018.03.28 Wednesday
    • 06:37


    みなさま、こんにちは☆
    いつも本当に、ありがとうございます。
    たいへん、ご無沙汰をしておりました。

    気づいたら、3月も終わろうとしています。

    お家の裏庭の桜の樹が、こんにちは、と囁いてきました。
    一年に一度の、逢瀬でございます(´▽`)

    なんでかわかりませんが、母が、
    この桜の樹に、わたしの名前をつけております………(・∀・)

    空気も、匂いも、春めいてきて
    あたたかく、ふんわりとした波動。

    朝目覚めると、まだ夜明け前ですが

    だんだん、お空が明るくなってきて

    あー、地球ってまわってるんだなぁと
    ぼんやりと思いを馳せます。








    宇宙とつながる術は、人それぞれのやり方があって

    なにかこう、幼少期の不思議な感覚を感じ取ってみると、
    もしかしたら、思い出せるかもしれません。


    でも。。。
    幼少期のそれは、不思議でも何でも、なかったわけですよね。

    とても純粋に、それぞれの宇宙、神さまに、つながっていたのだと思います。

    なんで、わすれるんやろう。

    それのほうが、不思議。



     





    星の瞑想、宇宙の瞑想、神さまの瞑想


    どの呼び名でもよいのですが、
    わたしにとって

    とてもとても大切なものを、ここ数ヶ月で思い出してきました。


    それは音もなく、やってくる。


    心臓の奥の奥の奥で、響き続け、かすかな感覚が、途切れることなく、
    届き続けている。

    わたしたちは、それを、 ほんとうは

    知っている。


    脳の機能は、とても大切で、おもしろくて、わくわくしたりするけれど


    それを軽々と超えてゆくものを、感じる瞬間もあります。


    身体の変化も、ありました。


    ある意味衝撃で
    悲しくなったり
    受け入れたり

    感情に任せると、疲れたり


    思い返せば、いろいろありましたが、

    なにかそれも、別の層のことのような


    春は、とても不思議。



    ベールがかけられているような、ふわふわとした波動をみています。













    桜の樹の存在が、話しかけてきます。


    いくつかの、桜の樹から、祝福と祈りを頂いて
    新しいなにかを、発振してまいります。


    わたしたちは、どこからきたのだろう?

    なんで、ここにいるのか?


    わたしはよく、なんでここにいるんだろう、と感じていました。
    はやくかえりたい。

    もういやだ。




    そういうことは、子どもの頃は、全然思いませんでした、たぶん。

    わりとなにも考えていなかったように思います。

    夜空を見て、ただ、見上げて

    図鑑をめくって、プレアデス星団を

    眺めて、眺めて、眺めて



    無心で、眺めていました。

    本当に、なにもかんがえていなかった。

    かなしくも、なんともなかった。


    なぜなら


    わたしはいつも、宇宙と、神と
    故郷とつながっていたから。

    その術を、持っていたから。


    しかしその術を、だれもが使っているわけではないことを知ったのは

    いつだったか


    小学生のころ。



    そのとき、いっしょに遊んでいたお姉さんに

    なにそれ、そんなことしないよ。


    と言われてから

    ????


    ぼんやりと、思い出します。


    それからは、なんか、いじめられたり、変な波動を拾っちゃったり(とはいえ、拾ってる自覚など、サラサラないわけです)、

    いろんなことを諦めて
    でも神さまは、
    じゃあこれで、遊んでみる?と、ギフトを渡してくれたり

    しかしそのギフトが、わたしをどん底に陥れたり


    いいえ、ギフトはギフトのままです。

    いまでも、とても大切なもの。


    ただわたしは

    わたしの内側を
    あの、子どもの頃の宇宙とつながる術を

    しまいこんでしまったことを、思い出させるための。

    ただの、それだけのために起きたこと、メッセージだったこと。



    たくさん、メッセージ、サインは、きていたこと。



    宇宙の采配は、いつも完璧であること。



    わたしたちは、宇宙の、神さまの、子どもであること。



    誰も、もれなく、すべて。


    そんなことを思うと


    お部屋に飛んでる、ほこりや、ちりさえも、神さまの光にみえてくるのです。



    宇宙にかえりたいのは、いつもです。


    でもそれは、今すぐでなくてもいい、と今は思っています。


    思い出そうとしたり
    感覚を言葉にしようとしたり

    追いかければ追いかけるほど

    それは、逃げるように

    ふわぁっと


    消えてゆくのです。







    『ヒマラヤ聖者への道』を読み返すたびに

    わたしは、水を得た魚のように、

    生きていること


    を、感じます。

    大切な人を想う度に


    宇宙、神さまを、思い出します。


    地球に来たのは、なんのためか。


    魂の世界は、すべてあるから


    地球で体験できるワクワクというものがあって
    それがなくちゃ、退屈だから。

    とか。



    退屈の、何がいけないのか?

    わたしは、じつは、退屈が好きです。

    なにも予定なくても
    どこにもいかなくても
    まったりして
    娘たちと、くだらないことで、わはは!って笑うのが
    とてもすきです。


    べつに、地球でしかできない、感情を体験するとかなんとか

    そんなことをしに来たとは思えない。



    やはりここでも



    平安を、体験しに、やってきたんだと。


    こんな過酷?なところでも



    神さまを、宇宙を、故郷を思い出して



    そう、平安だなぁ、って



    ただそれを、やりにきたのだと。



    わたしは、それを、したかったのだと。


    それをみんなで、思い出したくて
    みんなで、やりたくて

    模索しながら、思い出しながら、この道をきたのだと



    拙い言葉で、発振します。


    言葉にしようと、追いかけると、消えてゆく。


    それでもなんとか、これを表したい。現したい。



    心臓の、奥の奥の奥の、

    奥の、平安を。



    あなたの内の、宇宙を、神を。


    囁くサインを。


    つながる術を、思い出すことを。


    そんな春に、したい。


    みなさま、ありがとうございます☆