みなさま、こんにちは☆
いつもありがとうございます。
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溺愛されたい、と思っていました。
そこから、うまれたものは、
わたしは、わたしのこの世界を、溺愛してみよう、と思いました。
まぁ
うん、そうですね、
自分の世界を、溺愛してはいなかったように思います。
でも、
溺愛される、ということを、ちょっと、
垣間見てしまうあらわれがあって
溺愛されるとは
少なくともわたしには、非常にハートの奥を揺さぶるものだったのです。
目の前にあらわれてくるものを、素直に受け取って
それが
どのようなものであろうとも
ただみつめるしか、ないなぁ、
そしてそれを見つめていると、
それはもう
神の愛でしかないことがわかってきて
そこに
たまらないほどの愛のつぶつぶを感じ取るのです。
あああ、どうしよう、と
するとそれを、奉納です。
神に、お返しします。
これまで、わりと信じきっていたものを、
手放せて
とても平安な気持ちでいたのだけど、
わたしとしたことが、
奉納するのを忘れていました。
手放せて、安らかな気持ちが、あまりにも気持ちよすぎて
歓びで、ありがとう、で止まってしまっていました。
それを、はっ!!!と思い出し、
神に、奉納しました。
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どんなに、嬉しさが湧き上がってきたか?
どんなに、歓喜で溢れたか?
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いいえ。
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なにも、なかった。
捧げたあと
どんなに、
爽快で歓びで、溢れるんだろう、と
妄想していたそれ
いや、、、、、
妄想していたわけではないけれど、
これまでの経験によると、
そんなときは、なんとなく
とんでもなく安堵して嬉しくて、
喜びにあふれる、ということがありましたわけです。
それが、しかし、
あら。
なんもなかった。
恐ろしく、フラットといいますか
えっと
そこに、感情が、生まれようがない、といいますか
空というか
ゼロというか
なんもない、というか
ああ、そうか
ないわ。
そんな感じに、しばし、ぼけっといたしましたであります。
ここ最近の気付きは、
衝撃、というものを超えてしまったようです。
なんかもう
驚くことを忘れてしまった感じ。
あああ、、、、、
そうね。
というところに、おちる、という感じ。
知っていても、知っていなくても。
音、が
声、が
その振動が、とても好きで
わたしの、たまらなく愛おしい、と思うそれに
出会ってしまうと
夢中に溺れてしまいます。
そんな出逢いが、ついこの間、ありました。
もうほんとうに、愛してる、としかいいようのない声に、出逢ってしまって、
マスターに、その出逢いにおいての感謝をいたしております。
あの振動は、変わらないのだろうな。
わたしは、もう20年ほど前から、BUMP OF CHICKENの藤原さんの声が、すきですきで、しようがなくて
いつの時代も、どこの星でも、藤原さんの振動を聴いていた、と思ってきたのだけど
それに、似たような出逢いを、つい最近、いたしました。
たまらなく、いとおしい、その振動に出逢えた幸せを想うと
何も言えなくて、
ただただ、涙がこぼれて
ありがとう、なんです。
そしてそれが、フラットになっていくのを感じています。
愛おしいのはそのままに、
神の愛のもとの、振動であるという確信が
永遠の平安を、空の向こうに見ます。
溺愛したくて、溺愛されたくて
でもそれは、いつも、ほんとうは、
自分が、自分自身に。
そして
目の前のあの人が、神として見えるなら
わたし、も
あなた、も
消えてしまうのでしょう。
神から、預かっているこの身体をつかって
わたしたちは、愛を、する。
もう、愛しか見えない。
愛のもとに、不調和はありえない。
自分回帰で、その答えを見る
いつでも、そこに、こたえがある。
誰に聞かなくても
誰かにもらわなくても
あなたにだけ、わかる、振動がある。
それを結ぶ。
わたしはことしは、たくさん、結んでいこうと思います。
シリウスの向こう側。
振動を、思い出して、
うさぎは音を、声を、宇宙を結ぶ
ふしぎね。
瞳の奥を、ずっと憶えてる、それはわかっていたけれど
振動も、憶えてるんだな、って
やっとわかった。
平成、ありがとう☆
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この間から、双子の娘たちと
Amazonプライムビデオで、
『JIN』というドラマを見ています。
当時も大好きで、ずっと見ていました。
大沢たかおさんのお芝居に、17歳になった娘たちは、ときめいています。
当時は、7歳くらいだったのかなぁー。
『神は乗り越えられる試練しか与えない』
この台詞が、幾度も出てまいります。
試練というものに対して、それぞれの解釈があると思いますが、
それが、あらわれだと認めて受け止めることができたとき
やはりそれは
神からの愛であることも、また、わかるのだろうな、と思ったりします。
わたしは、平成が収束するこの瞬間に
わたしの世界を溺愛する、と決めます。
わたしの意志で。
目の前の、愛しい人を、神だとみれたなら
わたしたちは、
愛しい人のもの、です。
わたしたちは
神のもの、だもの。
ああ、それって
たまらなく、ハートの奥が震える。
ハートの振動。
あなたの眼差しの、向こう側。
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この声を、音を、携えて、
ゼロから、愛を生きる。
みなさま、ありがとうございます。
宇宙の音 星の声 Cosmic Journey